貧乏な人にお金をすべて出してもらうのもたまにはよい

昨日、日本橋で人の買い物に付き合った。

探しているものはどこにでもあるのだけれど、安い店、値切れそうな店となるとなかなかなくて、おたがい面倒になって適当なところで手を打った。

前にも誰かに言ったが、わたくしは考えながら人と話をすると、自分がどこを歩いているのかまったくわからなくなる。なかなか面白い会話だったので、昨日も案の定そうなった。

無駄に歩いて余計に疲れた。


年頭に教えてもらったもつ鍋屋まで足を運ぶ。

サルコジの言説についていろいろ話を聴く。デマゴジーとポピュリスムは違う、という。区別することに意味があるのかどうか良くわからないまま、かといってそのことは聞けず、異論があるとかなんとか言って話を続ける。

結局、デマゴジー的要素がポピュリストとしての振る舞いを誘発するようになることもある、というあたりで落ち着く。穏当過ぎてつまらない。この人のデマゴジーの定義が良くわからなかったのであまり納得していない。この問題について文章を練ってどこかに発表するとか言っていたけど、まだまだ検討を要するだろう。

それにしてもサルコジは相当なやり手である。


そんなことより、もっと盛り上がったのはあの人がレズビアンかどうかということ。男性恐怖症がレズビアンたらしめている場合、そのレズビアン的メンタリティーは消極的なものにとどまるから、そういう人はやはりレズビアンとは呼べないんじゃないか。とかなんとかかんとか。

帰りの電車で二重国籍の功罪について話が及びそうになったがこれはまた次回。おべんきょするつもり。