櫛渕万里という人は、きれいだし賢かった

bleulavande2007-02-24

昨晩、朝生で「激論!女が変える日本」を見た。朝生を見ると、来月は見ないでおこうと思ってしまう。昨日もまた同じ感想を持った。

論点はいろいろあった。別に男が出演していても、多分、話の内容は変わらなかったと思う。当たり前の話だけど。こんな題で討論しようとすること自体間違っているんじゃないか。

女性天皇の話になって、大高未貴というジャーナリスト(http://www.pet.gr.jp/~miki/)が、「2600年続く男系の天皇制を守らなければいけない」というようなことを言ってておもしろかった。interestingじゃなくてfunnyという意味だ。

こういうことを軽はずみに言っちゃうから、右翼は誤解されるのだ。まともな右翼の人は憤慨したに違いない。

一応、議論の場なんで、ほとんど実証されていないことを言い張られても困る。「私はこれを信じてるんです。絶対そうなんです。ムキー!」というようなことを言われても、ほっとくか失笑するか、まあ勝手にしてくださいとでも返答するか、そんなことくらいしかできない。そういうやりとりは議論でもなんでもない。


「男は頭で考えて、女は子宮で考える」というようなことを言う人が、自分の正しさを再認識することになってしまうような気がするので、大高さんの無神経さは有害である。一応、女の人は、自分の正当性を装うくらいはしなくちゃいけない。当たり前だけど。男の人も同じ。「男はペニスで考えて、女は頭で考える」なんて言われないように。その意味では議論に男も女もない。当たり前の話だけど。

別に言われたっていい、と思うなら勝手に思ってくれたらいいのだけど、それで話は終わってしまう。これも当たり前だ。

朝生には、ときどき、議論のルールすら知らない人が出演するので、田原翁はもっと気をつけて欲しいと思う。


あと、もう一点どうでもいいこと。

マリー・アントワネット』を見に行くのが面倒だとこの前の日記で書いたが、それでもわたくしの心の片隅にはずっと、予告編でみたあのキルステン嬢の含み笑いが残っていて、こういうレヴュー(http://mgccinema.exblog.jp/4631681/)を読むと、やっぱり見に行っておけばよかったなあと思い直してしまう。


ただ、

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ロスト・イン・トランスレーション』が、日本文化の描き方という点で本国で議論百出したように、この映画もフランスでは史実への忠実さ、とりわけ時代考証を無視した音楽の使い方をめぐって物議を醸したようですが、これはむしろフランスのアメリカに対する、おなじみの文化的な対抗意識で理解すべき問題で、早い話がフランス人からすれば、「アメリカ人め、わが国の歴史まで金で買う気か!」ということなのでしょう。
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という理解はちょっと単純すぎると思う。これは証明しようのないことなのだけど。


今日、後輩3人と会って来てその話を書こうと思ったが、また今度。テーマは「実存的不安について」だった(笑)。